Word: 2009年11月アーカイブ

 「お年玉代わりにみかんを一箱もらったのよ」という母の子どもの頃の話で、冬の到来を感じていた時期がある。
木枯らしが吹き始める今頃になると何か思うところがあるのだろう、母はみかんを箱で買い込み、幼い頃のお正月のことを懐かしそうに語った。終戦の年に生まれた母の子ども時代の話をまだ小さかった僕はこれからも毎年繰り返される昔話と聞き流し、こたつの上に積まれたみかんを夢中になって食べ続けた。そして僕はみかんの食べ過ぎが手のひらを黄色くさせることを知った。
そんなみかんを箱で買うという我が家の冬の風物詩だが案外短命でもあった。黄色くなった手のひらをめざとく見つけた担任の先生がみかんの食べ過ぎは良くないと僕に説教し、そのことを僕が母に伝えたからだ。
そんなことないのにねと母と一緒に担任を笑い者にするはずだった僕の思惑に反し、母はみかんはもう良いわねと締めくくったのだ。二人で笑うつもりで用意していた僕の笑顔は行き場を失い、券売機の横に置き去りにされた片方の手袋みたいな居心地の悪さを後に残した。
その後のことは良く覚えていない。みかんが我が家から消える事はなかったが、箱で買う習慣はなくなり、母は正月の思い出を語らなくなった。いきなり途絶えてしまうとは考えてもいなかった僕は母の正月がどんなだったかについて詳しいところを覚えていない。時々気になるのだけど、未だに聞けないままだ。そしてはしごを外された僕は、それからというものあまりみかんを食べなくなった。
今年もスーパーや八百屋の店頭にみかんが並ぶ時期を迎える。手のひらが黄色くなるほどではないが、一人暮らしを始めてからみかん熱が再発した。定職に就いてからは八百屋に山積みされるみかんを箱で買えるようにもなった。でも、みかんの箱買いはまだ試していない。箱みかんは買うものではなく、たぶん。もらうものなのだ。

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