k-wata: 2012年1月アーカイブ

さて、重い腰を上げ、この話題を取り上げてみようかしら。
10年経って思った事は、ダンスの切れが悪い、悪い。軸はぶれているし、セリフは噛むし、これが年をとるってことか! なんて思って納得しようと思って、はて。50過ぎても迫力ある役者はやっぱいるわけで、うーん。なんだかなぁ。と言葉は濁り、見通しも悪くなっていく。
テーマは悪くない。むしろ、心惹かれるくらいだ。電脳空間に残されたアーカイブの行方を話題に、現実と希望の対立、諦めと絶望の葛藤を語るなど、「今」という社会に対する切り込み方は悪くない。だが、その展開がどうにもまどろっこしい。途中で時計を見たくなったことも一度や二度ではなかった。いよいよ良い感じでドライブしてきたと思ったら、終劇。なんだ、なんだ。とドタバタしているうちに劇場を追い出され、こうしてよくわからないだろうテキストを電脳空間に垂れ流す始末。
しかし、人づてに漏れ聞こえてくるのは「面白かった」という声、声、声。
過去を懐かしむのは大人の悪い癖だが、相対評価を避けるようでは運動会のかけっこで全員が一位というニュースを笑えない。無邪気、というか、無自覚。
過ぎ去った10年。六日の菖蒲、十日の菊。次のない劇団に何を言っても詮ないだけだが、神はぼくたちに返事をしないということか。「宇宙で眠るための方法について」の解説で髙橋源一郎が書いていた言葉が思い出される。
---「全ての真実の物語は『神はぼくたちに返事をしないのだ』で終わる」。これがアップダイクの結論です。だから「後日談」はあなたがつくって下さい。だめなら、新しい「物語」をいまそこではじめちゃって下さい。それが旨くいった時、はじめてあなたはそこでゆっくりとねむることを許されるのです。---
奇跡を信じるのもよい。しかし、神はぼくらに返事をしないのだ。
いま、そこにあるものが全てで、その中で最善を目指せということか。もっとも、掛け金を積み上げたのは他ならない自分なのだ。因果応報、奪った魚は奪われるということだ。
村上龍も言っていた「絶望を希望に変える必要はない。絶望の傍らにしか希望はないからだ」と。

最後に「宇宙で眠るための方法について」から

  夢みるころを過ぎても
  まだ夢をみたいのならば
  血の涙が流れることを
  憶えておかなければなりません
  年老いたロマンチスト
  「シンデレラコンプレックス」を読む老婆
  自立という文字の中にある
  ひりひりとした孤独
  友だちという名の嘘
  真実という名のゲーム
  愛という名の肉体

  夢みるころを過ぎても
  まだ夢をみたいのならば
  血の涙が流れることを
  憶えておかなければなりません。

 暗転

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