k-wata: 2011年5月アーカイブ

鴻上サンはかつてどこかのインタビューで「自分は座付きの脚本家だから、役者を見てから物語を考える」的なことを言っていたことを思い出した。
というわけで、虚構の劇団「アンダー・ザ・ローズ」。Under_The_Rose_web1.jpg
今回の舞台はパラレルワールドの世界。その並行世界で暗躍しているのが、「私の無念」を声高に語り、その無念を果たすことを目的とする集団「空震同盟」。その空間はまさに80年代的というか、声の大きい奴が勝ちだ的世界観が支配する世界で、その対極として描かれるオリジナルの世界では「私の無念」を内に押しとどめ、言語化することを試みない世界だ。この対比が今回のポイントらしい。
この二つの世界を観客に意識させながら、どこに行き着くのかとわくわくしながら見守っていたら、その終わりは予想を裏切っていたというのが今回のお題。
いつのも鴻上演劇であれば、その常套手段として最後の一幕に役者たちが全員集合して今回の舞台のテーマを蕩々と語りあげて総括を始めるのだが、今回はそれがなかった。そればかりか、「ひみつ」と一言つぶやくだけで終えてしまった。そのことを取り上げて今までのスタイルとの決別とかいう言葉で相対化することは面白くはあるけれど、そんなのは、第三舞台を引きずった悪い大人のすることだとふと思う。それよりはむしろ、この舞台がテーマとした「私の無念」を抱える存在に対峙したときに人は何ができるのかということについて、何も語らないというのが今の時代なのかと思うべきなのだろう。正確に言えば、何も語らずともコミュニケーションを成立させなくてはいけない世界。細部に宿る小さなあれこれに意識的に呼応することを日常的に要求されるシビアな時代。そしてそのルールは演劇という娯楽にさえ適用されているということか! 鈍感な私にはつらい時代がやってきました。
これまで第三舞台のお約束を丁寧に踏襲してきた虚構の劇団のここにきての突然の暴挙、というか革新を見るにつけ、鴻上は虚構の劇団の役者一人ひとりとちゃんと向き合い始めているのかなとも思う。座付きの脚本家が有名になるとどうしても過去の舞台の印象を観客は求めてしまうが、そんなことにはお構いなしに疾走する虚構の劇団はこれからがかなり楽しみ。

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