2015年2月アーカイブ

「一度言えばわかることを繰り返し言わない」

今回の一連の報道を通して思い出したことがある。「はい」は一度だけでしょ、という言葉だ。繰り返し言われたこの言葉は誰もが聞き覚えのある、現在進行形で言われている方には毎度おなじみの言葉だ。一度言えばわかることは繰り返す必要がないし、繰り返すことは嫌みになる。

それで今回の報道だが、この事件に割いている時間の割に中身がない。語られることと言えば「情報を整理」「これまでの流れを」という言葉ばかりで、夜のニュースでも朝のニュースと同じことを伝え、翌日の朝のニュースでさえ先日の朝のニュースと同じことを繰り返す。そして夜のニュースでも同じ内容が・・・。

正直どうなんだろうかと思う。そんなに繰り返さなくてはならないほど今回の事件は周知度が低いままなのだろうか。あるいは自分たちのニュース番組の視聴率の低さを放送回数で補おうとしているのだろうか。既に伝えた情報は伝わったものとして新たに得られた情報だけを伝えるということではだめなのか。続報の主たる役割は「それからどうなったか」であって「それまでどうであったか」を繰り返すことではないはずだ。それをしない、許さない理由がどこかにあって、たとえば旧世代の悪しき伝統みたいな勢力が、ニュースの重要性とはそれを伝える時間の長さで決まる的な前例主義を押しつけているように見えてならない。現在進行していることについていえば差分だけ伝えてくれれば十分なのに、そこのことを考えようとするひとが少なすぎる。それとも私が偏屈なのか。他の誰もがオレンジ色の服を繰り返し見たいと思っているのだろうか。何のために? 罰ゲーム?

補足すれば、記者の質問も「今何をしていますか」「次はどうしますか」的なことばかりが目立ち、当該地の情勢などを踏まえた上での質問がほとんどない。いや失礼。全くない。質問の多くが気の抜けた雰囲気に満ちあふれている。聞くべきことがないから聞いているという印象は否めない。たまに意気込んだ質問があるかと思えば政府への批判で、対応の遅れとか、もっとできることがあるはずだとかいう非難がほとんどで建設的な話題に向かっていかない。ひどいところだと「身代金は払うのですか」という質問さえあった。「身代金以外のどんな解決策を考えていますか」じゃないのか? やはり罰ゲームだ。

ではどうするのか。答えは単純明快である。時間を費やしたいのであれば、こんな時だからこそ政府を褒めればよい。イスラム国が一番いやがることをやらないでどうするのだ。政府に恩を押し売りイスラム国に嫌がらせをするのだ。褒めた政府は事後の検証番組でこき下ろせばよい。掲げたはしごは下ろせばいい。本当のことをいえば、何もしない方がいいとも思う。実際、この案件について政府はできることをしていると思う。それどころかマスコミの期待に応え、できないことまでやろうとしている気配さえある。一方、マスコミにできることは少ない。失礼、日本のマスコミにできることはない。だから何もしない方がいい。政府にできることが多くないように、報道機関にも伝えることなど多くないのだ。正確に言えば、政府が表立ってできることは少なく、報道機関もまた聞くべきことは少ない。直接関係のない国民は、外向きには「あー、なんかやっていますね、それがなにか」くらいの無関心を装えば良い。

そんな妄想はさておき、現実の7時のニュースは何の進展もなかったことを伝えるためだけに持てる時間の多くを費やしている。これはまるでイスラム国によるニュースジャックだ。イスラム国の報道機関の日本支部といってもいいくらいの大判振る舞いだ。おそらくだが、マスコミ自身がテロに対峙した時になすべき姿勢や態度について考えていなかったのだと思う。それゆえニュースとしての重要性を伝えるために時間を費やすことこそ報道の使命と考える誰かを止めることができず、尺を埋めるためのベタな質問を誰も止められず、記者は変だなと思いつつもバカ正直にベタな質問を繰り返すこと以外できず、そのやりとりをキャスターも同じことばかり言っている気がすると考えつつぼんやりと立ち、何となくニュースが流れていく。どこか懐かしい景色があるね。昭和20年頃のあのあたりみたい。テロとの戦いでもまた日本の報道は負けるのか。せめて政府だけは勝って欲しいのだが、これを好機と妙な一歩を踏み出そうとしている雰囲気もあってきな臭い。このあたりも懐かしい光景が見えてくる

と、また妄想に沈んでしまった。いかんいかん。

とにかく、このムダな感じをどうにかして欲しいのだ。気象庁に習って報道番組も「50年に一度の記録的な災害」みたいな分類をニュースに導入したらどうだろう。重要度の高いニュースには「50年に一度の記録的なニュース」というテロップでも流せばいいと思う。そうすれば重要度をテロップで伝えることができ、ニュースは純然たる続報に徹底できる。ついでに、一つのニュースに費やす時間を決めておくというのも良い。1ニュース5分で冒頭の15分はトップニュース。残りは政治・経済・社会で分け合って、最後に3面記事的な話題と天気予報とかどうだ。

余談はともあれ、テロの非道さを伝えることはテロが無視できない脅威であることを伝えてしまうことを否定できないし、政府の行動を無策と非難することはテロと交渉せよという間違ったメッセージを人々に送ってしまいかねない。いわばパレード効率的な状態であることを自覚しなくてはいけないのだが、さすがというか、ここでと問うべきか、時流にめざとい議員が早速政争のネタとして使い始めている。テロ対策は不十分でも、与(野)党対策、派閥対策は万全らしい。劣化国家と嘆くべきなのか。

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