2012年12月アーカイブ

橋本氏が公示後にツイッターで発言したというニュースを読んだ。
ライブドアの堀江氏のことを思いだした。
時代の波にルールが追いついていないときに、
その波に乗ってしまうか、あるいはルールを守るのかという選択は、
確かに心を悩ませる。
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」
でも、これは市井の人であるからできることである。
ビートたけしが赤信号を渡れば問題とされる。
警察官が渡っても問題になる。
では、なぜ橋本氏は渡ったのか。
政策的小異を認めず、八策に従うことを強く求めるのに、
赤信号は渡ってしまう、確信犯的なうかつさ。
かように考えれば、橋本市は、革命を目指しているのかも知れない。
政治活動はその一理塚に過ぎず、
屍累々な三里塚をも乗り越えようというのか。
でも、お金が絡むとルールを水面下に沈ませることもできるが、
政治が絡むといったんは沈むものの、すぐに目立つところに浮き上がってくる。
だからこそ、そんな大それたことを考えているのではなく、
単なる票稼ぎだったりするのかも知れない。
とすれば、選管が警告する前に、
そうね明日あたり、スイマセンでした、なんて頭を下げ、
もうしません、反省してますとか言ってそう。
やんちゃ感をアピール!という作戦なのか。
今はまだ石原氏が代表だから極端な反則技はないと思うが、
橋本氏が国政に出てくるとなると、国会運営とか大変そう。
その前に、門戸が閉じてしまうのかもしれないけど。

心を激震させる文章もあるが、軽く震えるだけの文章もあるということ。

2012年の文藝の冬号を買ったら裏表紙に編集手帳の広告が載っていた。
先日も電車の車内広告で見かけ、女性の頰に残された涙の跡を見て、
作為的だなぁと思いつつ本文を読んで、
その力の足りなさ加減にがっかりしたことを思いだした。
ちょっと前に見た、老いた母の写真をバックに綴られた、
親孝行を片思いと重ねた文章は秀逸だと思ったのに、だ。
いやいやこれはもしかして、自分の好き嫌いで判断しているのかもと、
もっと優しい目線で、おおらかな気持ちで裏表紙の広告文を読むものの、
程度の差こそあれ、残念な感じを打ち消すことはできない。
「紅葉の三条件」の中に「人生の悲哀」を見出す視点は期待感を高めるが、
本文に使える文字数を気にしたのだろう、力でねじ伏せる強引さがやな感じ。
今年だったか甲子園で150kmを投げる剛速球投手がいたけど、
結局、チームが点を取れずに敗退したことを思いだした。
せっかく作為的とも思える女性の涙と付き合わせるのだから、
もっとコピーはこの女性に寄り添い、支えなくてはダメだろう。
あるいはこの作為的な写真を忘れさせるくらいに超強引に頑張るか、だ。
ただ、広告としては結構面白いところもある。
それは、いい話を書こうとしている気持ちだけはちゃんと伝わってきて、
そおかげで、なんとかぎりぎり広告として成り立っているのだ。
この、気持ちだけが伝わってくるってところは非常に漫画的でもあるので、
平成世代の広告屋の打ち損じってところでしょうか。
もしですよ、もし、実は昭和の広告屋が、
この漫画的ともSNS的とも、Web2.0的ともいえる手法を
確信犯的に使っているのだとしたら、慣れないことをしましたね。
なんて、好い加減なこといって、えらいスンマセン。。。m(__)m

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