立ち向かうアメリカ、目を背ける日本。

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四人家族で年収220万円。この水準以下の家庭がアメリカでは貧困と定義されるが、日本ではどうだろう。実は日本には貧困の定義がなく、憲法25条が定めた健康的で文化的な生活に必要とされる生活保護基準が実質的な「公的貧困ライン」となっている。その金額は、3人家族で年収約276万円だ。しかし、この二つの数字が持つニュアンスは明らかに違う。220万円以下が貧困家庭と明言するアメリカに対し、276万円あれば生活できるとする日本。この差こそが日米の貧困に対する眼差しの差なのだ。
アメリカの貧困について、堤未果は『ルポ貧困大国アメリカ』の中で、新自由主義の登場でアメリカは裕福層と貧困層とに二極化するようになったと語る。福祉重視政策から市場主義政策に転換したレーガン政権は、アメリカの豊かさの象徴である中流家庭を次々と貧困層へと転落させていく。その状況をアメリカ政府は国内貧困率や18歳以下の貧困児童率、飢餓状態経験の人口数として把握し、福祉政策ではなく市場原理の活用や民営化で対応しようとする。
アメリカの貧困対策について、堤は医療制度の民営化を取り上げ、その問題点を浮き彫りにする。削減された医療費を補うため、アメリカの多くの病院は非営利型から株式会社型へと運営基盤を転換する。しかし、コスト削減と営業成績を重視するあまり医療の質が低下。やがて医療過誤が急増し、訴訟対象となりやすい産科医の担い手が減少。その結果、アメリカの乳幼児死亡率は先進国中でも極めて高くなった。民営化の影響はそれだけではない。採算性を求めて高額化する医療保険料や治療費は、多くの貧困層を無保険者にし、医療費を払えていた中間層を医療費負担による生活苦から自己破産者へと変えていく。
アメリカの貧困対策について、堤は民営化による解決という手法に問題があったと指摘する。では、格差社会が生まれつつある日本の貧困問題はどうなのだろう。この問題に詳しい、貧困者の生活相談を行ってきたNPO法人「自立生活サポートセンター・もやい」の湯浅誠代表は『反貧困』の中で、我が国の姿勢を貧困問題に向き合う以前の問題と切り捨て、スタートラインにも立っていないと警告する。貧困者数や貧困指標を明確にしてきたアメリカやドイツ、イギリス、韓国とは対象的に、日本政府は貧困の実体を明らかにしようとはしない。一度明らかにしてしまうと、問題の解決に取り組まねばならず、しかも、憲法25条に違反する実状が明らかになるからだ。
こうした状況の中、湯浅は政府が実施したある調査を紹介する。それは一般世帯の消費実態と生活保護世帯に支給される生活保護費を比較した調査だ。この調査によると、一般世帯でありながら、生活保護基準以下の生活をしてする人が6~8%いたというのだ。この調査結果は思いもよらない論議を引き起こす。それは生活保護基準以下の所得で暮らす人がいるのだから生活保護費も引き下げようというものだ。政府はあくまでも日本に貧困はないという姿勢を固持する。ここで交わされている論議は貧困者を守るという発想でないばかりか、生活保護基準が担う「公的貧困ライン」の意味すら危うくさせるのだ。
この日米の貧困を紹介する二冊はそれぞれの国の貧困対策の問題点を指摘している。アメリカの貧困対策はその手法に問題を抱え、日本は貧困の存在にすら向き合っていないのだ。湯浅氏が語る日本の現状は暗いが、そこで明らかにした問題を正すために氏は次なる行動に出る。その一つが去年12月に首都圏青年ユニオンとともに結成した「反貧困たすけあいネットワーク」だ。現実世界での出来事を検証しながら読み進めることで見えてくることがあるに違いない。

湯浅 誠『反貧困 -「すべり台社会」からの脱出』(岩波新書, 2008)
堤 未果『ルポ 貧困大国アメリカ』(岩波新書, 2008)

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このページは、k-wataが2008年12月24日 01:26に書いたブログ記事です。

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